浄土宗が開かれて850年

浄土宗は1175年、法然上人によって開かれました。今年2024年は開宗850年ということで各所で記念行事が執り行われています。
私もこの850年の歴史を感られるものはないかと思い、法然上人をはじめとする当時の人々がどんなものを食べていたのか調べてみました。平安時代の料理について調査を開始すると、「あんまり美味しいものではない」との内容が多く、調べるにつれその理由も分かってきました。

味噌も醤油も出汁もない

私たちが普段口にしている味噌、醤油などの調味料は平安時代存在せず、塩でさえ貴族だけが口にできる貴重品でした。庶民が行える味付けといえば”どぶろく”をもとにした素朴な酢と醤(ルビ:ひしお)と呼ばれるもろみだけだったようです。
調理技術も発達しておらず、食材を単に焼き茹でし、調味料を添えるだけだったそうです。また、鰹節や昆布だしなどの出汁文化もまだ生まれる前で平安時代の食卓は私たちが食べている和食とはかなり異なっていたようです。

850年前のお弁当を再現してみた

850年前、法然上人が浄土宗を開こうと比叡山から京都に向かわれる際にお召しになった……かもしれないお弁当を再現してみました。比叡山から京都まで現在の道でも20kmはあるので絶対にどこかでご飯食べたはず。
さて、主食のご飯ですが、現在のような白米を水で炊く「炊飯」は「姫飯」と呼ばれ、名の通り貴族が食べる大変なごちそうで、庶民は少量の玄米に麦やひえを加えてかさ増しし、蒸して作る強飯(おこわ)が主流だったそうです。

玄米と雑穀を蒸して作る強飯

お弁当にするため、この雑穀強飯でおにぎりを作ろうとしたところ、粘り気が少なく、雑穀がパラパラと落ちるため、成形するのが非常に難しかったです。お弁当のおかずは当時から流通していたイワシの干物と梅干し、先述の醤(ひしお)を添えて完成。

850年前のお弁当(再現)おかずは煮干し梅干し&醤

気になるお味ですが見たとおりの素材の味そのもの。なにより雑穀強飯は手に付く上、粘り気がなくバラバラになるため非常に食べづらかったです。当時の栄養状態と衛生環境を考えると「お弁当」は楽しむための食事ではなかったのだと気付かされました。

古代アルファ化米、干飯(ひしいい)も作ってみた

強飯を3合も作ってしまったので、残った強飯で携行保存食の干飯(ひしいい)も作ってみました。子供の頃、「忍者は干飯を食べる」と本で読んでからいつかは作ってみたかったもの。軒先で数日間天日干しします。これだけで数年間は保存できるとのこと。今で言うアルファ化米です。

強飯を軒先で数日間天日干し
完成した干飯 意外と美味しいです

実際に干飯をそのまま食べてみるとバリバリと硬い煎餅のような味と食感。しかし水分が抜けたことで味が凝縮され、強飯おにぎりよりも食べやすく、美味しかったです。当時の夜灯もなく治安も悪く、清潔な水もない道中を考えると干飯のような調理不要で歩きながら食べられる携行保存食が重宝されていた理由が分かりました。
比叡山から下る法然上人が強い決意のもと、一人硬い干飯を噛みしめながら京に歩みを進めているお姿を想い、その決意の先に今の私たちがあることを想うとぐっとくるものがあります。

副住職

法然上人はお味噌汁飲んだことがない。ということも衝撃

この記事を書いた人

副住職こうじりゅうじ

浄土宗善立寺副住職
浄土宗総合情報システム専門部会委員
浄土宗総合研究所研究スタッフ
大正大学地域構想研究所客員研究員
ScanSnapアンバサダー/DXアドバイザースペシャリスト