九条兼実公
現在、NHK大河ドラマで放送中の『鎌倉殿の13人』はちょうど浄土宗が生まれた時代のお話です。800年以上前の人間模様に私たちはあるときは心躍らせ、またあるときは悲しみに暮れます。
その当時の出来事や人間関係を知る資料が『玉葉(ぎょくよう)』です。この玉葉書いたのが朝廷高官の九条兼実(くじょうかねざね)です。九条兼実公は現在も続く五摂家の九条家の祖であり、一条家、二条家の祖でもあります。ドラマ「鎌倉殿の13人」ではココリコの田中直樹さんが演じています。
個人的な日記『玉葉』がなぜか・・・
兼実公の日記『玉葉』は1164年から1202年まで約40年間にわたり、源平の戦況や都の内情、誰と誰が争い、仲良くしているのか。兼実の情報収集能力と知識を使い、克明に記しています。
兼実公が朝廷の立場から史実を追った『玉葉』は鎌倉幕府側の公式文書である『吾妻鏡(あずまかがみ)』と並ぶ重要資料で、もしこの資料が無ければ、三谷幸喜さんの脚本も違ったものになっていたでしょう。
失脚の後、出家
現代のドラマ制作にとって重要な兼実ですが、存命中は計略に遭い失脚。さらに妻子に先立たれたことで法然上人のもとで出家されました。のちは円証(えんしょう)と名乗り、40年間書き続けた『玉葉』も出家と共に筆を置いてしまいます。
その後は余生を静かに過ごしましたが法然上人が流罪になった際は手を尽し、自領であった四国へ流刑地を変えさせるなど、少なからず朝廷に影響力があったようです。
そして1207年、四国に流罪となった法然上人と再会を果たすことなく59歳で亡くなられました。鎌倉殿では地味な役回りですが兼実が周りを見聞きする姿にぜひ注目してください。
浄土宗の歴史においては。兼実公が法然上人に「浄土宗の教えを後世に残すため、本を書いて欲しい」と懇願したことで浄土宗の最重要書「選択本願念仏集」が編纂されました(浄土宗大辞典:選択本願念仏集)もし、兼実公がいなければ、浄土宗の歴史もちょっと違ったものになっていたかもしれません。
次の大河ドラマ「どうする家康」では徳川家康が主役。家康は「厭離穢土欣求浄土」を旗印にするほど熱心な浄土宗信仰をお持ちだったので、浄土宗的に要チェックです!