法然上人=浄土宗を開いたお坊さん
浄土宗を開いたお坊さん「法然上人」についてまとめました。生まれから比叡山に登られるまでをまとめた記事はこちら。
経蔵で善導大師の本と出会う
時代と人々の機量にあった教えを探し求める法然上人は、天台宗の教え以外にも、法相宗や三論宗、華厳宗などへ遊学し、それぞれの教えを学びました。
比叡山に戻ってからも経蔵に籠り、教えを探し求めました。そんな中、法然上人は中国僧、善導大師の『観経疏(かんぎょうしょ)』という本を見つけ、この中の一節が浄土宗開宗のきっかけとなりました。
一心に専ら弥陀の名号を念じて、行住坐臥の時節の久近を問わず、念々に捨てざる者、これを正定の業と名づく、彼の仏の願に順ずるが故に
善導大師観経疏浄土宗大辞典
【現代語訳】 一心にひたすら阿弥陀仏のお名前を称え、動いているときも家にいるときも座っているときも寝ているときも、常に仏を忘れずに捨てないこと、これを正しい行いと名付ける。なぜならば、それを阿弥陀仏が願われているからです
善導大師は7世紀、中国長安で活躍した僧侶。阿弥陀仏信仰者で浄土宗を始めとする日本の浄土教に絶大な影響を与えました。浄土宗では法然上人を「宗祖」、善導大師を「高祖」としています。浄土宗大辞典
念仏は時と人に合った教え
それまでの仏教の考え方は、才能・環境・財力など、今生においてその機会を持つことが出来た人しか救われないものでした。そのような機会に恵まれなかった「普通の人々」が救済対象となる教えは説かれていませんでした。
そんな中、ただ一心に阿弥陀仏の名を称えることが極楽浄土に往生する方法である。なぜならば阿弥陀仏はそれを願われているから。
という明解な教えを見出した法然上人。これこそが、今世のすべての人々が救われる教えであると浄土宗を開かれる決意をします。
1175年、法然上人はこの浄土の教えを胸に、比叡山を下り、教えを広めるため京都に向かわれました。このとき法然上人は43歳。12歳で比叡山の門を叩いてから約30年後のことでした。
つづく・・・
2025年、浄土宗は開宗850年を迎えます。
我、浄土宗を立つる心は、凡夫の報土に生まるることを、示さむためなり。
「私が浄土宗を立てる理由は、普通の人々が極楽浄土に
— 法然上人
生まれることを示すためです」
まとめ
法然上人とは#2
- 浄土宗を開いたお坊さん
- 元々は天台宗
- きっかけの人→善導大師
- きっかけの本→観経疏
- 43歳で浄土宗を開いた