今回は、平成二十五年に遷化された善立寺先代住職、小路観山上人が遺された言葉を紹介いたします。
この言葉は、昭和六十三年に松本浄土宗青年会発行の機関紙「月影」に寄稿されたものです。
昨年、月影記念号発行のため、現副住職が過去の記事の調査を行った際、見つけたものです。
善立寺先代住職であった小路観山上人は幼い頃に両親を亡くされ、身寄りのない子どもたちを引き取られていた信州新町玉泉寺(ぎょくせんじ)で多くの子どもたちと共に生活されました。
その後、松本市和田の観音寺住職に。その後、ご縁をいただき、昭和五十二年、善立寺住職になられました。
長年、善立寺の護寺発展に務めれ、平成十九年、現住職小路祥永上人に善立寺を託し、平成二十五年、老衰により享年八十九歳でご遷化されました。
自己反省
善立寺住職(当時)小路観山
~昭和六十三年発行 松本浄土宗青年会機関紙「月影」より~
数え年七歳で信州新町の寺に入門し、その日から般若心経や舎利礼文など短いお経を口うつしに教えていただき、日常自分たちが使っている言葉とは全く違うとも思わず、安易に漢文の棒読みを身につけて、出家得度をして修業道場に入るまでには大方の経を読む事が出来る様になっていた。
然し師匠が時折、お経の内容や説明や、お釈迦様の話をして下さるのですが、たとえそれがどんな楽しい話でも、幼い私には何の関係のない様に思っておりました。
普通は、他人の姿は見えても自分の姿は見えないものである。
例えば、自分で自分の欠点がわかっていても、それを他人から指摘されるとあまり気分のいいものではありません。
他人のよこしまを観るなかれ
の一句、これぞ自分の姿と思います。ある言葉に
他人の過失は見やすく、おのがとがは見がたし
人に出家の目的を問われても結局は自己本位を主張する人間になっていた。
お釈迦様は、国王とか財産とか妻などでは満足出来ず出家されました。
生きているという事は誰かに借りをつくる事
生きていくという事はその借りを返してゆく事
人は一人では生きてゆけない。
考えてみますとああなったら幸せ、こうなったら幸せと私達凡人が考えている中身というものは、皆私達の持物ばかりです。
年と共に持ちかえてゆく持物であり着替えてゆく衣装にすぎないのです。
財も名誉も妻子もいざという時は全部置いてゆかなければならないものばかり。
いざという時悉く脱ぎ捨てていかねばならないものばかりです。
昔も今も少しも人間の生きる姿そのものは変わっていません。
いや、むしろ物が豊かすぎる現代の方が、いっそう人心は貧困になっているかもしれません。
人間は貧すれば必ず何かにすがり求めるものです。
ある宗教を信じ熱烈に信仰する事は良いが、病気になるとか、また死人が出るとか脅迫されての宗教では正しい宗教ではありません。
運・不運いづれにあっても、そこに堂々と自己の座りをもつ事こそ澄浄とされるのです。
この事をよく心に留めておかなければなりません。
良く生きるとは今は良くないと気のつく事だ
と言う言葉がありますが、ひたむきな求道の姿というものはここにあると思います。
誠の教えに従って生きる事が、大切な事です。
無限に軌道修正をさせていただきながら歩む人生こそ大切な事でしょう。
おのれこそおのれのあるじ
おのれこそおのれのよるべ
さればまことの商侶の
よき馬をととのうるがごとく
おのれをととのえよ
【法句経】