こんにちは!善立寺副住職、小路竜嗣です。
お坊さんがお坊さんに聞いてみるインタビュー『Echo』
善立寺が作成する寺報『香蓮』で3年間連載してきました。
Web版最初のインタビューは東京都墨田区にある龍興院副住職の大島慎也上人です。

大島上人は僧侶として布教に励まれる一方、なんと歯科医として勤務されています。

龍興院副住職大島慎也上人

二代続いての僧侶 兼 歯科医

善立寺副住職 小路竜嗣(以下小路)

現役の歯科医かつ、お坊さんというのは相当珍しい経歴ですが、なぜ歯科医と僧侶を両立されたのですか?

龍興院副住職 大島慎也(以下大島)

私は元々この龍興院の生まれなんです。
うちは小さなお寺ですので、代々副業を持ちつつ、お寺を護持してきました。
私の祖父は教員として、父は歯科医として働き、私も父の影響で歯科医になりました。

私が歯科医になった当時は祖父もまだまだ現役で、父も元気でした。
なので、私いつかはお坊さんになるとは考えていましたが、まだまだ先の事だろうなと漠然と考えていて、僧侶の資格は持っていませんでした。
しかし、父が体調を崩したことを機に、平成23年に浄土宗の僧侶養成機関である教師養成道場に入行しました。

歯科医姿の大島さん


小路

私と大島さんが出会ったのもその教師養成道場でしたね。
そうそう道場中、歯科医の大島さんを象徴するエピソードは手の洗い方です。

大島さんは手の洗い方がものすごく丁寧かつ確実で、さすがお医者さんだなと思いました。
インフルエンザになると感染防止のため即刻下山(道場を途中で辞めて山を下りること)になってしまうという、
絶対に病気になれない環境の中、大島さんのお医者さんとしての知識は私たち同行僧にとって、頼もしいものでした。

連絡が取れない日々

小路

道場中辛かったことはなんですか。

大島

肉体的にはやっぱり正座ですね……精神的には外部と連絡が取れない日々は辛かったですね。
実は道場に入った当時、父が病気で入院していて、まさに生死の境にいました。
なので、道場中も心配で心配で…。終わったあと、すぐに電話をかけ、無事であったときは心からホッとしました。

小路

道場中は外部との連絡が完全に絶たれましたからね。
スマホは回収、テレビはもちろん新聞などの情報も遮断される、本当に仏教漬けの日々でしたね。

大島

そう。道場では、様々な先生から仏教の講義を受けることができたのが、とてもありがたかったです。
恥ずかしながら道場に入るまで医者としての勉強ばかりしていて、仏教の勉強をしたことがありませんでした。
そんな中、俗世から離れ、集中して仏教を学べる環境は素晴らしかったです。

そして学んでいくと「お釈迦様の教えはなんて理路整然としているんだ!と、とても感動しました。
『理論立っている・根拠がある』ことを、医学用語で「エビデンスがある」と呼びます。
仏教の教えは、人の心や生死の問題について、理論立っていて、まさに「エビデンス」があります。
これは医師としても大変興味深い内容でした。

道場を終えてからはそんな興味が高じて、大正大学大学院で仏教学を学び、昨年、大学院を卒業しました。

小路

エビデンス!!
 なんてお医者さんらしい考え方!!しかも大学院にまで……
ということは、僧侶かつ歯医者かつ大学院生の3つを兼務されたということですか?!

大島

はい。一時は診察が終わった夕方から大学院のゼミに出席したりと大忙しでした。
大学院の先生もそんな私に合わせて指導してくださりありがたかったです。
現在は同じく歯科医の弟が主体になって大島歯科医院を運営してくれているので、
私が診察するのは週2日くらいですね。今はお坊さん8割、歯科医2割くらいの生活になりました。

歯の話は布教のきっかけ

大島

僧侶としてお檀家さんにお話をする際、気づいたことがあるんです。
皆さん、お坊さんの話というと、なにかどんよりと、うつむきがちにになってしまうんですよ。

そんなとき「実はさきほど、入れ歯直してきたんですよ」と言うと皆さんフッと顔を上げ、興味深そうにこちらを見てくれます。
このように、法話を聞いてもらうきっかけとして、歯の話をすることがありますね。
 また、お檀家さんから治療の相談をよく受けます。
特にご年配の方は歯の悩みをお持ちの方が多いので、気楽に話しかけていただくきっかけになってます。

今あるものを見直そう

小路

寺離れ、宗教離れと言われる昨今、私たちはどのように布教をしていけばよいでしょうか。

大島

私は今あるものの中に答えがあると思います。まず日本のいいところは家に仏壇があることです。
以前、欧米の友人に「日本には仏壇という、家の中に先祖を祀り、祈る場所があるのが良いよね」と言われました。
その時、なるほど、そうか。改めて考えてみると日本文化の中には、いいところがいっぱいあるのだと気づきました。

 寺離れや宗教離れと報道され、私たち僧侶自身も新しい手法に目を向けがちです。
しかし実は、私たちがすでに持っているものの中に答えの一つがあり、それを見直してみることも大切だと思います。

 そして、私たちお坊さん自身も忘れがちなことですが、「お経を読む・法要を行う」こと自体にご遺族を癒やす力があります。
法要を通じて、亡くなった方はもちろん、ご遺族にとって大切な人の死を受け入れる一歩になっています。

 そして、私たち浄土宗のお念仏の教えは本当に素晴らしいです。
南無阿弥陀仏のお念仏は僧侶だけでなく、ご遺族や会葬者をはじめ、全ての人が同じ行を行います。
シンプルで分かりやすいからこそ、老若男女問わず、誰でも行えます。
誰でも行えるということは、誰もが救われる教えであるということです。

お寺の社会貢献

小路

また近年では寺院による社会貢献活動を求める声も出てきました。

大島

社会貢献活動については、私たち僧侶はこれから活躍の場が広がると感じます。
お寺はもともと地域コミュニティの中心でしたし、人が集まる場所です。

龍興院でも参加している「おてらおやつクラブ」など、お坊さん発信の社会貢献も次々に生まれています。
一般社会から求めれることと、私たち宗教者だからこそできること。
この2つを組み合わせれば、これまでは考えられなかったようなことも実現できると思います。
私も現在、病院内でメンタルケアを行う「臨床宗教師」という新しい活動に参加しています。

小路

臨床宗教師?!詳しく教えて下さい!!

つづく・・・

こうじりゅうじ

次回は病院内でのメンタルケアを行う「臨床布教師」の活動について伺います。

これまで公的機関に宗教者が介入することは許されませんでした。それが今変わろうとしています。死の床での宗教の可能性とは…

浄土宗常在山龍興院
〒130-0003
東京都墨田区横河1-3-18
WEBサイト:http://ryukoin.jp/

この記事を書いた人

副住職こうじりゅうじ

浄土宗善立寺副住職
大正大学地域構想研究所客員研究員
元エンジニアで寺院のデジタル化を推進する
寺院ITアドバイザーとしても活動している
ScanSnapアンバサダー/認定DXアドバイザースペシャリスト